美徳が被る災難

最近、感じた事。
こと、重い責任が自分に関わってくることや、曖昧な形では後々権利上問題となるような重要な事でもないかぎり、
慣例的な事柄や、決定されるであろうとする、内容などについて、比較的一般の日本人は
突き詰めた形式的処理で終わらせない…ような印象をもっています。
相手を性善説で考慮する習慣を日本人の美徳の一つとしたならば…の話し。
ある程度親しい仲では「じゃ、そこのところはよろしく!」…で話をすすめても
双方に不利益がかからない配慮が当然あったんだけど。
昔は(…っていつ?)それでも共通の阿吽の認識(…って、又なんだ?)のもと
大きな行き違いや、問題なく用が済んでいたことも、
今は、この島国も多種多様な文化と共に
同じくらいに多様な判断や理解の基準が入り込んでいるからか
其処此処で、思い違いや思い込みによる問題が起きているみたい。
ある方が言うには、例えば三者が関わる場合
一回ごとの打ち合わせなり、小さな決め事も文章化して同意を示すサイン、捺印で締める。
それが、後々の大きなトラブルを回避する手立てなんですよ…とのこと。
それはそうですよね、でも、それがスマートに出来にくいのが日本人気質じゃないかな。
今の世の中、何でもかんでもスマートに、
「はい!今日はここまででひとまず締結させます!」…とできなきゃならないのかなぁ…
あぁ~、もう~生きにくいなぁ~💦
旧い気質のサマンサには気が重い世の中になってきた。
でも、そこから逃げてはいけないんだろうな~
今も、アンジーとそんな事話しながらランチミーティング🍴
【はい、サマンサが休暇中、これこのような事をお願いします。
了解です。】
※これについて、サマンサとアンジーとの間に、双方の確認の元、署名、捺印は交わしてはおりません。

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